大アルカナのネガティブ寄りカードと小アルカナのネガティブ寄りのカードは根本的に違う!
タロットに「善いカード」「悪いカード」という概念はそもそもありません。
ただ「ポジティブ寄り」「ネガティブ寄り」「中間的な」カードはあります。
大アルカナと小アルカナについても復習です。

大アルカナは人生の生き方・・哲学的なカードです。よってそのテーマは壮大ですね。「愛とは何か?」「生きるとは何か?」「正義とは何か?」という類のものです。
一方、小アルカナは日常生活の営みを示します。日常の出来事の状況や状態、環境、その変化や過程を示唆します。テーマとしては「今日の夕飯何にする?」のようなものです。
つまり、大アルカナと小アルカナでは、カード自体の重要度が違うわけです。よってリーディングでも読む比重が異なります。
さて「ネガティブ寄り」のカードですね。
大アルカナでは代表的なネガティブ寄りのカードは、「死神」「悪魔」「塔」でしょうね。
小アルカナのケースでは、その番号が各要素を決定しています。

最もネガティブ寄りのカードは、各5番ですね。
「ワンド5」「カップ5」「ソード5」「ペンタクル5」です。
「死神」」「悪魔」「塔」は大アルカナですから、その啓示するメッセージは人生に直結するものです。
「死神」は確かに「死」を示唆します。
「悪魔」は確かに「悪」を示唆します。
「塔」は確かに「破壊」を示唆します。
只、「死」も「悪」も「破壊」も何かしらの目的や意図が存在するためにタロットに描かれています。
「死」は「生」と相反するものでは無く人生の一部であることを「死神」はメッセージしています。
「悪魔」は人間の原罪があるからこそあらゆる欲望が生じることをメッセージしています。
「塔」は人間が成長する上で固定観念や既成概念を壊さなければ前に進めないことをメッセージしています。
このように大アルカナのネガティブ寄りのカードの場合は、根本的なメッセージの質が違います。非常に重要な啓示を描いているわけですね。

では小アルカナはどうでしょうか?
各スートの「5」番が最もネガティブ寄りのカードとなります。
「7」もかなりネガティブ寄りのカードですが・・・
ただし、小アルカナの場合は、スートの影響が強く出てきます。
「ソード」は理性的・論理的ですが冷淡でドライなカードですよね。
しかし「カップ」は愛情・感情を示唆し、暖かで平穏な要素があります。
この要素は各「10」を観ればわかると思います。
「ソード」の様な生き方をしたならば、結果的に「ソード10」のような結末になる・・・
「カップ」の様な生き方をしたならば、結果的に「カップ10」のような結末になる・・・
という具合です。
「ワンド5」は喧嘩のカードですね。
「カップ5」は過去に捕らわれるカード。
「ソード5」は勝者になった者の狡さを描いています。
「ペンタクル5」は貧困です。
これはタロットの絵を観れば誰にでも想像できます。
では小アルカナのこのようなネガティブ寄りのカードですが、大アルカナと根本的に異なる点があります。
それは「対称的」な点です。
相反する何かが存在しています。
「ワンド5」は確かに喧嘩をしていますが、その喧嘩は戦争では無くて、子供の喧嘩です。
喧嘩は人間関係を辛辣にしますが、子供の喧嘩は、言い変えれば「競争」です。
競い合うことは悪いことではありません。
「カップ5」は倒れたカップに主人公が執着していますが、未だ倒れていないカップもありますし、彼の目的地に向かうための橋も描かれています。要は未だチャンスがあるわけですよね。
「ソード5」は辛辣ですね。ソード5の相反する対称は「勝者」と「敗者」です。しかしこの勝者の表情からも窺えますが、明らかに、狡い手段で勝ったのでしょう。敗者の悔しさが伝わりますね。
逆に考えれば、敗者の立場になってみよ!ということです。

「ペンタクル5」は観るかに貧困です。
しかしよーく観察すれば、ステンドグラスはセフィロトの樹の類似形になっています。
セフィロトの樹が描かれているのならば、「真理」ですから、この建物に住んでいる者は「神=ヤーウェ・エロヒム」となりますね。
この対称は、貧者と富者です。
というように・・・
小アルカナのネガティブ寄りのカードの場合は、必ず、相反する対象が描かれています。大アルカナのような真に相反する対象は無い・・・のでは無く、逆に反対の対象が存在するわけです。
それは日常は現実的だからです。
日常の生活の中で、「愛とは何か?」と真剣に悩みますか?
普通の人はそんなことはしません。
しかし、「喧嘩」はするでしょうし、逆に「競い合う」こともするのではないでしょうか?
ここの点が、大アルカナと小アルカナのネガティブ寄りのカードの最大の違いです。