タロットとセフィロトの樹の関係
タロットとカバラは非常に密接な関係を持っています。
当たり前ですね。
ウェイト・スミス版タロットは、黄金の夜明け団のアーサー・エドワード・ウェイトが「カバラ」の思想を盛り込んで、パメラ・コールマン・スミスに描かせたものです。
セフィロトの樹は、カバラの思想の集約したものの図化ですね。
仏教の曼荼羅に似ています。
タロットカードをよーく観察して下さい。
「女教皇」「恋人たち」「ペンタクル5」「ペンタクル10」にはセフィロトの樹が描かれています。
では。
セフィロトの樹とは何か?
非常に難解なので、できるだけ簡単に解説します。
しかし難しいことには変わり在りません。
「難解」という意味では、イマヌエル・カントの『純粋理性批判』を読むようなものです。
生命の樹は、旧約聖書の創世記(2章9節以降)にエデンの園の中央に植えられた木です。命の木とも訳されますね。生命の樹の実を食べると、神に等しき永遠の命を得るとされています。
タオの蟠桃と似ています。
カバラではセフィロトの木(英語: Sephirothic tree)という。
ヤハウェ・エロヒム(エールの複数形、日本語では主なる神と訳されている)がアダムとエヴァをエデンの園から追放した理由は、知恵の樹の実を食べた人間が、生命の樹の実までも食べて永遠の生命を得、唯一絶対の神である自身の地位が脅かされるからでであるという説があります。(ユダヤ伝承では知恵の樹の実と生命の樹の実をともに食べると、神に等しき存在になるとされているので)事を恐れたためですね。

セフィロトの樹は、神秘思想のカバラにおいてさまざまな解釈がなされ、近代以降の西洋魔術、特に黄金の夜明け団などでは生命の樹をタロットカードと結びつけての研究が行われていたことでも有名なのです。10個のセフィラと22個の小径(パス)を体系化した図も同じく「生命の樹」と呼ばれています。
タロットの小アルカナは、セフィロトの樹のセフィラに対応し、大アルカナは22本のパスに対応しています。
「セフィロトの樹」は、人間の人生の正しい歩み方が啓示されています。
セフィロトは複数形ですから、単体を「セフィラ」と謂います。
一番の最下層は「マルクト」です。
そこに人間が生きています。
人間として産まれたならば、必ず、マルクトで産まれます。
そして一番最上階には、「ケテル」があります。
「ケテル」にはヤーウェ・エロヒム(創造主)が住んでいます。
人間はマルクトからケテルを目指して、経験を積み、苦労を重ねて成長していくのです。
ただし、「マルクト」で死んでいく人間がほとんどです。
「自分の人生の役割も知らずに死んでいく」と言うことです。
勿論ですが、人間がケテルに到達することは至難の業です。
宗教的に謂えば、「イエス」「ゴータマ・シッダルタ」「マホメット」などの人間はケテルに上がっていますね。
※「キリスト教」ではイエスはヤーウェ本人が人のカタチで産まれたことになりますが。
正しいこととは、セフィロトの樹の思想における正しい事を示唆します。
人は正しいことを選択して行動したときに、何かを発見して、成長の階段を上がります。
その階段が各セフィラです。

個人によって、「イエソド」に向かう者も居れば、「ネツアク」に向かう者も居るわけです。
一度、「ホド」に向かって、「イエソド」に戻ってから「ネツアク」に向かう者も居ます。
この「ホド」「イエソド」「ネツアク」の作る三角形を肉体の三角形と謂います。
この範囲に行ける人は実際に存在します。
「ケテル」「ビナー」「コクマー」の三角形の範囲に到達できる人間は限りなく少ないでしょう。
どこの「セフィラ」であろうとも、一歩づつ進むしか在りません。
そして「タロット」は、その生き方を具体的にメッセージしてくれるツールです。
そして「タロット」の絵の中にそのメッセージが存在します。
言い変えれば、「タロットの絵」を観ない限り、タロットを読む事は不可能です。
簡単に表現するならば・・・・
セフィロトの樹が理解できれば、タロットも理解できるということです。